破倫館

倫理的人生

映画『恐怖分子(Terrorizers)』はフィクションに対するテロリズムだ

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 エドワード・ヤン監督による台湾映画『恐怖分子』について語る前に、やや面倒な回り道をしよう。この作品はまったく難解ではないにせよ、台湾の一つの時代・瞬間を活写し、歴史的要請を強く反映したものである点にはほとんど疑う余地がない。そのため、台湾という特殊な地域の政治史的/映画史的経緯について少しでも確認しておくことは、この映画を読むにさいして大いに役立つはずである。

台湾史概略――不安、怒り、無関心からの「台湾ニューシネマ」という萌芽

 台湾。九州よりも僅か小さいこの島国は、歴史的にも混乱の多い地域である。

 日本では「台湾といえば親日」というイメージで語られることが多いが、忘れてはいけないのは過去に日本が台湾を占領していたという事実である。

 19世紀末には、日清戦争に勝利した日本によって植民地化され、そこでたびたび起こった紛争によっても多数の死者が出ているのだ。しかし、その後太平洋戦争で敗戦した日本は台湾の統治権を放棄し、今度は中国が領有権を手に入れることになる。蒋介石率いる国民党が中国から逃れて台湾へ及ぶと、日本語は禁止され反日教育がさかんに行われるなど独裁色が強まっていく……。台湾における今の「親日」のイメージは「中国よりはマシ」といった消極的な感情によるものであるという側面は見逃せない。

 そのような動乱の歴史を経ながらも少しずつ経済が発展してゆくと、国民の生活は安定へと向かっていった。

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 そうした動乱の70~80年代、台湾でも娯楽的な映画が現れ始めたが、作品のマンネリ化、産業としての低迷が嘆かれるようになる。そこへ新たな芸術運動として、「電影宣言」が掲げられた。エドワード・ヤン監督ら若手の監督たちによるオムニバス映画『光陰的故事』(1982年)をはじめとするこの波は台湾ニューシネマとも呼ばれ、それは従来の商業主義とは一線を画する、文化的・芸術的・社会的意義の高いものであるという主張であった。まさにこれはフランスにおいて50年代末に起こったヌーヴェルヴァーグという映画運動と、奇しくも重なる。

 

『恐怖分子』という《空気》

 エドワード・ヤン監督による長編三作目『恐怖分子』(1986年、台湾)もまた、その流れのなかに位置づけられる作品である。タイトルに「恐怖」とあるがホラー映画というわけではなく、どちらかと言えば「テロリスト」といったニュアンスのほうが近いであろう(ちなみに英題は"Terrorizers"である)。あくまで人間と社会を描いた悲哀の群像劇である。下に粗筋を記す。

 舞台は1980年代、台湾の都市部。銃声が響き渡る朝、警察の手入れから逃げだした混血の少女シューアン(淑安)。その姿を偶然カメラでとらえたシャオチェン(小強)。同僚の突然の死に出世のチャンスを見出す医師のリーチョン(李立中)と、執筆にいきづまる小説家の妻イーフェン(周郁芬)。何の接点もなかった彼らだが、シューアンがかけた1本のいたずら電話が奇妙な連鎖反応をもたらし、やがて悪夢のような悲劇が起こる。ついには妻を失い、職場でも昇進の機会を奪われてしまったリーチョンは、友人であるクー警部(顧警部)の銃を奪い、自らの頭部を撃ち抜いて自殺してしまうのである。(2015年配布のチラシを参考)

 この映画は一つの事件や物語が大きな軸になっているわけではなく、それぞれの登場人物の些細な行動、言葉の重なりや、それらが間接的に描出する「社会の空気」によって織りなされている。約5人の主となる登場人物がいるものの、主題はむしろ彼らがフレームに映っている時の背景にこそあると思えてならない。つまり『恐怖分子』は、5人の主要人物を用いることで、台湾のある都市における陰を活写した作品なのではないだろうか。

 

キーワードは「無関心」

 冒頭、道端には人の死体が転がっている。銃声が鳴り、パトカーのサイレンが響く。しかし、人々はそこに強い関心をもつこともなく、ただ家事をこなす。図1-3はそれを示す一連のカットであるが、図2では中央のバルコニーで洗濯をしている女性が映っており、彼女は銃声が鳴り響くことにもいっさい気を向けることはない。そして図3では、何かから逃げるように走る男性の姿が映る。警察官も日常茶飯事のように淡々と無線を交わしているなど、この街においてこうした「事件」はあくまで「洗濯をする主婦」と同質の、生活の風景の一部になっている、ということが端的に描かれている。

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図1-3

 カメラの捉え方もまた質素だ。我々の目には衝撃的に映る対象物を、あくまで淡々ととらえる。カメラの目はいつも遠くにあり、映る対象物はごく小さい。この映画のラストで初めて、カメラは自殺したリーチョンの撃ち抜かれた頭蓋にじっと接近するのである。その瞬間、唐突に「恐怖分子」は顕在化し、観客は「背景」であったはずのものに対するどうしようもない共感と悲哀に包まれることになる。このように、人物を描きつつもその実カメラは背景にあるものをこそ捉えているといった表現は、ロベルト・ロッセリーニ監督『ドイツ零年』(1948年)などにも通じるものがある。

 また、中盤でスランプに陥っているイーフェンが、かつての友人と一夜を共にする。ベッドの上で二人はその不倫関係について話す場面がある。

「立中(リーチョン)は知っているのか? 僕たちの昔のことを…」
「何も聞かないわ」
「信用してるんだね」
「ええ いいえ つまり それは… 信用じゃなくて 無関心ってこと ごまかしよ」

 この台詞における「無関心」こそが、この作品に通底する感覚であろう。

 発展する都市は豊かになろうとしているが、その陰では様々なものが置き去りにされている。まさにそうした光と影が、エドワード・ヤンの詩的な明暗の映像によって表現されるのである。

 

暗室、フィクションが生成・解体される場所

 「明暗」というモチーフが非常に上手く表れている要素として、「暗室」がある。これは写真家志望のシャオチェンがいつも写真の現像に用いている部屋であるが、この完全に密閉された空間は「昼か夜かもわからない場所」として描かれている。本作においてもひときわ象徴的な場所でもある。

 後半、シャオチェンがその暗室の窓から暗幕を取り除くと、射し込んだ光によって室内の様子が露わになる。そのとき、その部屋の壁には大きなシューアンのポートレートが貼られていることがわかるのである(図5)。しかしこの写真、よく見れば一枚の大きな紙ではなく、A4サイズほどの用紙をいくつも並べて貼られたものであるらしい。

 このポートレート、実は序盤でシャオチェンが偶然見つけたシューアンをこっそりと撮影したものである(図4)。シャオチェンはこれを元にして、引き延ばし、いくつもの用紙にプリントしたのだ。

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図4,5

 初めは一枚の写真にすぎなかったシューアンの肖像は、いわばシャオチェンによって「作品化=虚構化」させられていた。まさに一目惚れにも似た、憧れや美学といったシャオチェンの意識はそこにおいて表れている。しかし、シャオチェンによって切り取られたそのフレーム内フレームは、さらに細かなフレームによって分断されて、彼の意識、視線を砕く。ばらばらになったシューアンの顔は、開かれた窓から吹き込んだ風によって煽られ、さらにその事実を露呈してゆくことになる。

 

"恐怖分子/Terrorizers"は結局、何を破壊しえたのか?

 終盤にリーチョンがイーフェンのもとを訪ね、自分たちが別れた理由がイーフェンの小説のなかに書かれているという噂の是非を確かめようとする場面がある。小説の中でおそらくリーチョンがモデルであると思われる人物が最後には自殺してしまう描写があり、リーチョンが怒るのも当然である。実際にイーフェンはほとんど実話をもとにして執筆をしており、いくつかの設定は彼女の交友関係がそのまま反映されているわけだが、しかしそれでも物語としての結末はフィクションとして描いているつもりだったのだ。そのため、彼女はリーチョンに対してこう窘める。

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図6

「小説は小説 現実と作り物の区別もつかないの」

 しかしその後、奇しくも彼女の書いた小説そのままに、リーチョンは自殺してしまう。さながら彼女の冷たい言葉に対して、命をもって復讐するかのように。その行為こそが、フィクションに対するテロリズム――"恐怖分子/Terrorizers"なのだ。

 このようにしてフィクションがフィクションとしての姿を保ちきれないまま解体され、現実へと引き戻されてしまうという結末が、引き延ばされたイーフェンの顔写真の一連のカットにおいて既に予感されていたのである。

 なお、このカットは2015年に発売されたデジタルリマスター版のパッケージにも用いられている。この作品を象徴するこの光景は、美しくありながらもどこか人の心をざわつかせる。

 

ちなみに、どうでもいい情報。

台湾の映画『恐怖分子』に、深作欣二監督『里見八犬伝』の看板が一瞬映ってたのを発見。あちらでは映画が原作のタイトルで公開されていたのか。よく見ると「薬師丸博子」の文字も https://t.co/nVUXeQ3jSl

 

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