小説における「正しい記法」とかいうもやっとしたもの――三点リーダ問題
先日、小説の記法について人と話す機会があった。
小説に限らず出版の世界では、暗黙の了解とされている様々な「規則」が存在している。しかしその規則がなぜそうなっているのか、あなたはうまく説明できるだろうか。
カギ括弧の終端に句点をつけるべき? ない方がいい? それは何故ですか?
三点リーダ「…」は偶数個で使うべき? それは何故ですか?
ここではそれらの問題について調べたり考えてみたことについて書き残しておこうと思います。
カギ括弧の終端に句点をつけるか?
(A)「おはよう。今日は早いね。」
(B)「おはよう。今日は早いね」
教科書や行政の公用文では「カギ括弧内の最後に句点をつける」という規則(非正式ではあるが)に則っていて(A)、その一方で現行の新聞や一般出版物では「句点をつけない」というもの(B)が一般的になっている。
これにも明確な規則はないが、見つけた例では毎日新聞にはそういったガイドラインがあるそう。
出版における合理的な理由としては禁則処理の問題が大きいよう。新聞の場合はそれに加えて紙面あたりの情報量を増やすため、という理由もある。
確かめていないので保証はできないが、新聞小説を書き始めてからの漱石もカギ括弧の終端で句点を打たなくなったらしい(全作を調べるのは骨が折れるので知ってる人がいたら教えて欲しいです)。
違う作家の例では新聞連載でも句点をつけているものもあるそうで一概には言えないが、この頃の新聞小説で「カギ括弧の終端に句点を打たない」という前例が広く広まったという説はそれなりに説得力があるんじゃないだろうか。
三点リーダを偶数個(二個)で使うか?
三点リーダの偶数使用についても、現行の出版物ではほとんど「ねむいよぉ……」などといったように三点リーダ"…"を二個、あるいは偶数個をセットにする用法が一般的だ。
ネットの「小説の書き方」のようなサイトにはどこでも書いてあるような話だが、そもそもこれはどういう理由からそうなっているんだろうか?
「ただ皆がそうしている、経験的に見やすいとされているからそう書いている」というだけだと私は思っていた(というか深く考えたこともなかった)が、実際のところどうなのか。
その一、「誤変換でないことを示すため」という説
友人は「句点と三点リーダとを誤って変換することがあるため、誤変換でないことを示すために三点リーダは二個セットで使うというのがスタンダードになっている」という説を主張していて、私には意味が分からなかった。
というのも、そもそも私は中黒「・」(日本語キーボードで「め」のキー)で三点リーダに変換しているからだった。句点でも三点リーダに変換することはできるが、確かにそれだと誤変換の確率はとても高そうだ。
私個人としては「誤変換でないことを示すために」という理屈が本当に理に適っているかどうかも疑問だが、まずこの説は前提として「大勢が三点リーダを入力するのに句点(日本語キーボードで「る」のキー)から変換している」必要があるが、正直そこは怪しいと思う。
そもそも三点リーダ本来の用法とは?
そもそもの話をすると、三点リーダというのは「リーダ」という名の通り「導線」に近い用法をするための記号だった。例えば以下のように目次で章題とページ番号を結ぶために用いたり。
のように。
しかし、小説の中で用いられる「……」は、これとは明らかに違う用法。この用法がどこから来たのかというと、英語等で用いられる省略符号ellipsis"..."*1に由来している。
翻訳をする際、"..."という当時日本になかった記号を、そのまま「…」として和訳の文章に組み込んだのが始まりだということらしい。
で、それがどうして「二倍三点リーダ」になったのかと言うと、どうやらこれは活版印刷時代の名残のようだ。
その二、「活版印刷による制約が現在も残っている」説
ここでダッシュ「―」の話をする必要がある。これも現代、三点リーダと同じように「二倍」で用いるのが慣例となっているものである。
2倍ダッシュは,それを一体にして扱うということから分割禁止としていた.また,活字組版において2倍ダッシュは,2倍角のボディで作成されており,分割できないということから,その禁止の度合いが高かった.しかし,どうしても止むを得ないという場合は,全角ダッシュにして,2行に分割することも許容されていた.
日本語組版処理の要件(日本語版) https://www.w3.org/TR/jlreq/ja/#unbreakable_character_sequences
なるほど。「―」はそもそも活版印刷時代、二個セットの「――」で版が作られていたらしい。そのため文末での分離禁止文字の対象となっていた*2。
そこで、三点リーダ。
活字組版において2倍三点リーダなどは,全角の三点リーダを並べていたので,その禁止の度合いは,2倍ダッシュより幾分かは低かった.
なるほどなるほど。ダッシュと異なり、三点リーダはどうやら「…」で一つの版だったようだ。
ダッシュと規格を統一する意味で、三点リーダもまた「二倍」で用いるようになったというのが、二倍三点リーダの理由だと言えそう。
ただ、そうなると「そもそもダッシュはなぜ二倍ダッシュ(ダブルダーシ)として用いられなければならないの?」という問題についても考える必要が出てくる――が、力尽きたのでそこまで調べる余力はない。
私には長音記号「ー」とかと混同しちゃいそうだからというくらいしか理由が思いつかないが、これも組版の都合だったりするのだろうか。知っている人がいたら教えてください。
最後に:「正しさ」とは何かという話
まさか三点リーダを二倍で用いる風習が、活版印刷における禁則処理の問題と関わっていたとは思わなかった。調べながらとても興奮してしまった……。
長いことくどくど書いたが、しかしこれも結局は慣例に過ぎない。
面接にスーツみたいなもんかな?
— バーホッパー (@syge3) 2014年1月28日
RT @srpglove 新人賞応募作の三点リーダーの使い方で分かるのは、文章作法の習熟度なんかではなく、空気を読む能力なのだって結論でいいかな。
これが正しいという基準はこと小説においてはどこにもなく「一般的な用法」というものがあるだけだ。
各出版社、各雑誌などによってそれぞれ文章記法の規定があるにしても、それは統一の規格などではない。
ただ、一般的ではない用法を使ったときにそれが何かの意図である可能性を邪推される……のはまだしも、読者に不要な違和感を与えるリスクにはなりうる、とは言えるのではなかろうか。
(莫迦らしいので例に挙げるのも憚られるが、ラノベ新人賞の下読みを自称するTwitterユーザーが「そんなことも調べてきてない時点で」と作品内容にあまり関係のないところで評価を下げることがある、などと呟いていた。莫迦らしい、とは思うが、こうした問題はラノベ新人賞だけでなくとも起こりうることだろう)
だからこうしろ! とかいう話ではない。それを認知したうえでどうするか決めるのは完全に個人の裁量だと思う。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ちなみに漫画では出版社や雑誌ごとに三点リーダが二点リーダであったり、フキダシの台詞に句点を打つ打たないの違いがある。これは結構面白いと思う、理由はよくわからないけれども。