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倫理的人生

『SSSS.GRIDMAN』6話感想 私たちの世界が何者かに侵略されている/怪獣の臭いのある質感

4話の邪推感想がそこそこ読まれててうれしい! わりと適当なこと書いてますしこれからも書くでしょうが、読んでくださってありがとうございます。

ちなみに5話の時点ではちょっと言及しにくい伏線などがあったので……一つ飛ばして6話について。4話の邪推についての答え合わせ的な面もあるかな。

 

6話も見所がたくさんあって濃密な回でしたね!

顔のいい男は仕事が雑でも信用されるという社会の真理*1が描かれたり、六花が臭いアンチくんをお風呂に入れてあげるシーンなど、公式がエロ同人ネタを供給してくれているとしか思えない描写がありました。

特撮雑誌を立ち読みしてるところをクラスの女子に見られたオタク男子のキョドり方だとか、おそらく落ちてる小銭を拾い集めたであろうコンビニ袋から嬉しそうに何でも奢ってくれるロリ怪獣アノシラスちゃんも捨てがたい。

店でかわいいパスケースを見かけた時、アカネが交通系ICカードを裸で使ってる一瞬の場面を思い出す六花の「恋人か????」って描写も百合みが深い。

ア~~~~~濃すぎる……

 

以上、感想でした! と言いたいところですが、かなり作品の核心に触れる回でもあったので、そこらへんについて書くことにします。

 

本筋としては「接・触」というサブタイトル通り、キャラクター同士が接触し、「世界の秘密」など重要な複線が回収される回となっています。なお今回は後述する「ある事情」によって、グリッドマンvs怪獣の戦闘シーンがありません。

接触する主要ペアは以下の3組、

・六花×アンチ

・内海×アカネ

・裕太×怪獣少女アノシラス(2代目)

となってます。

それに加えて最後にアンチくんが裕太を襲うシーンもありますが、それはまあいいでしょう。それぞれについて触れていこうと思います。

 

※突如『劇場版魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語』についてのネタバレがあるかもしれないので、適当に自衛するか、読む前に観てください

 

 

六花×アンチ

六アンはこれまでも接触する描写がありましたね。今回もその延長線上といった感じ。

アンチはアカネに響裕太を殺すよう指示され、彼を探して街をさまよう。そこへ偶然出くわした六花はアンチにエサをやる*2のですが、その隣で六花は(うっ……くさ……)と思わず心の声を上げるほど。そこで今度は彼をこっそり自宅の風呂に入れてやることに。……これエッチすぎない?

 

アンチが裕太を探していること(グリッドマンを倒そうとしていること)、六花がグリッドマン同盟であることは互いにまだ伏せられたままです。

心の距離はなんとなく近づいている気がするのですが、互いに核心に触れない感じが何とももどかしい。

これ、後半になってアンチがグリッドマンを倒そうとするところで六花が立ち塞がり、アンチが躊躇するみたいな描写が来そうじゃないですか? 激アツ。

 

 怪獣の臭いのある質感

ところで特撮はほとんど知らないのですが、「怪獣の臭い」を表現した作品って他にあるんでしょうか?

怪獣というと多くは巨大なもの、重量感があって恐怖を覚えるものとして描かれてきた印象があります。いや、そりゃあたぶん怪獣は臭いんでしょうよ。でもスケールが圧倒的すぎて、臭いとかそんなことを考えるレベルではない。

ウルトラQ』では、日常のなかの怪獣を描いたことで親しみ深さを表現していた気がしますが、それでも「臭い」の表現などあったでしょうか。

『SSSS.GRIDMAN』では5話でもアンチくんの巻いていたマフラー?をアカネが「……くさい」と放り捨てるシーンが描かれましたし、6話に至っては六花がアンチに、裕太がアノシラスちゃんに対してそれぞれ「臭い」と形容する台詞が出てくるほど。

こういった怪獣の質感を「臭い」から表現しようとするのは、アニメ表現における挑戦を感じます。

つい先日読んだ『GODZILLA 星を喰う者』の鼎談において、脚本の虚淵玄ゴジラをアニメ化するうえでの勝算について以下のように語っていたのを思い出しました。

虚淵
アニメで、対比物としての現実世界と乖離したものが作れるというのは大きなチャンスだと思いました。「実在する怪獣」……というと変な言い方ですけど、「もしも怪獣が実在したときに、どのように怖く見えるか」とか、そういう生々しい肌の実感としての恐怖を見せられるのは特撮の強みであり、特撮がやるべきジャンルだとも思ったので、そういうものを描く作品が扱わないようなところから怪獣を描きたいというのはありました。アニメなら、絵のインパクトではなく、どういうメッセージ性で初代「ゴジラ」が作られたのかという考察とか、「観念としての怪獣」というのを描けるな、そこに我々の勝算があるかなと思って作ってきました。だから、重量とか臨場感とか、そういったものに振らない「恐怖の対象」や「人智を越えた超えた存在としての怪獣」を描いてみたいと。

「GODZILLA 星を喰う者」虚淵玄・静野孔文・瀬下寛之鼎談インタビュー、あのラストはどのように生み出されたのか? - GIGAZINE

ここで虚淵は、特撮では「実在する怪獣」を、アニメでは「観念としての怪獣」をそれぞれ描けるのが強みだと語っており、『SSSS.GRIDMAN』での怪獣はあくまで怪獣としての質感でなく、人間と同じ社会のなかで生きる怪獣の質感を描こうとしているという点でアニゴジのそれとは異なっていますが、まったく繋がらない話でもないかなと。

質量や臨場感ではないアプローチでの実在感としての「臭い」が、『SSSS.GRIDMAN』の勝算なのかもしれません。

怪獣も人間と同じように悩み、葛藤し、生きている――このことが、後述するアカネの台詞にも共鳴してゆく。

 

内海×アカネ

今回は自宅にひきこもることなく、怪獣を生み出さなかったアカネ。彼女もまた街をぶらついている最中に、特撮雑誌を立ち読みしている内海に声を掛ける。この時まだ内海はアカネがレギュラン星人ヅウォーカァ将軍をLINEアイコンにしているレベルの特撮オタクであることも知らないのでむちゃくちゃキョドってしまう(←好き)

しかし、すぐに二人はレッドキングの話で盛り上がり、喫茶店でオタクトークする流れに。急に饒舌になる内海ですが、アカネの「怪獣って、ホントは主役じゃん? なのにやられ役だと思われてるよねぇ」という言葉に若干引いてしまう……(←好き)

 

……オタクの会話描写がリアルすぎません?

 

私たちの世界が何者かに侵略されている

ともあれ、この台詞は『SSSS.GRIDMAN』における重要なコペルニクス的転回を果たすものになりそうです。

OP曲『UNION』にある歌詞ですが、

目を醒ませ
僕らの世界が何者かに侵略されてるぞ

これは素直に読むとグリッドマン視点のもののように思えますが、6話でこの世界を作ったのがアカネであると明かされたことにより、むしろ侵略者はグリッドマンの方であるという解釈が濃厚になりました。

このOP歌詞はどちらかの解釈が正しいというよりは、二者の視点が重なったもの、といったほうがいいのかもしれません。深みがある。

 

ちなみにこの会話のなかで「事情があるとは思うけどさあ、怪獣が出ない回とか作っちゃダメだよねえ」とか言ってるアカネちゃんですが、この回で怪獣を出さなかったのはアカネちゃん自身であることを皮肉ったメタ台詞なんですよね……。

これまでは魚眼レンズのように歪んだアカネの顔が怪獣誕生の確定演出になっていて、今回も実はそのカットが現れるのですが、怪獣トークで盛り上がったこともあって内海がアカネに無害認定されたのでしょうか?

しかしこの会話シーンで、もし内海が「はぁ? 主役はやっぱりヒーローでしょ!!!」などと反論していたら、6話にも怪獣が登場していて、消されていたのは内海だったかもしれません。今回は内海が人知れず街を救ったとも言えますね……。

 

裕太×アノシラス

同じ時、新キャラの怪獣少女アノシラスちゃんが突如として裕太の前に現れる*3。彼女は自らを怪獣だと言うが、敵意はない様子……むしろ裕太にホットドッグを振る舞ってやるほど好意を持っているらしい。嬉しそうに笑うロリ怪獣に性癖が歪む視聴者が続出しそうなレベルの「守りたい、この笑顔」

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彼女の話では、裕太たちが記憶をなくす以前に先代アノシラスが裕太の世話になったとのこと。

このアノシラスちゃんの話とは厳密には繋がらないのですが、実は怪獣アノシラスは『電光超人グリッドマン』6話「恐怖のメロディ」に登場しています。

そこでのアノシラスは電子ピアノのコンピューターワールドに棲み着く心優しい電子生物で、音を使って人々の心を癒やしてくれていました。それを知ってムカついた敵側の藤堂くんらは、アノシラスを洗脳して凶暴化させてしまう。その洗脳を解いたのが、美しい音楽を奏でたグリッドマンたちなのでした。

もしこの構図がそのまま援用されてアレクシスがアノシラスを洗脳するみたいな展開が来たら首を吊るオタクが続出しそうですね。

 

そういうわけでアノシラスちゃんは、怪獣でありながらグリッドマンたちを応援する立場。世界の構造について何も知らない裕太に、彼女の知っている情報を彼に伝えてくれます。

とりわけアカネがこの世界の創造主であるという設定が明かされたのは大きい。これは4話の記事でも触れたように、アレクシスがグリッドマンたちを「お客様」と呼称していることにも繋がって納得がいく。

やっぱりかー! と思う反面、「新キャラに説明させる」という明かされ方だったのはちょっと残念だった気もします。1クールで話をまとめるうえで、ある程度仕方ないことかもしれませんが……怪獣が街を破壊し修復するというイメージ映像がゲーム的な表現で描かれていたのもチープさは否めない。アカネがそれをゲーム感覚で行っているという表現なのだろうとは思うんですけど。*4

 

アノシラスちゃんは裕太を連れて電車に乗り、町の外の姿を見ようと試みます。5話でも校外学習(川下り)のために電車に乗るシーンがありましたが、「町に出ようとするとみんな眠くなってしまう」という伏線についてここで回収されました。

アノシラス「眠くなったでしょ。町の外に出ると、みんな眠くなる」

裕太「……あれ、今……」

ア「このガスのせいだよ」

裕「――音楽?」

ア「音楽にはね、目には見えないけど、音の精霊が隠れていてね

裕「音の精霊……」

ア「そしていつも演奏する人の心を見てるんだ

ちなみにこのアノシラスの台詞は、『電光超人グリッドマン』5話で主人公の父親が語った台詞がほとんどそのまま使われています。

「楽器にはね、目には見えないけど、音の精霊が隠れていて、いつも演奏している人の心を見てるんだ」

『電光超人グリッドマン』5話「恐怖のメロディ」翔宗一郎

特殊なガスのせいで眠くなってしまった裕太を、アノシラスが美しい音楽の力で浄化、目を覚まさせます。そして町の外には、何もないということを目撃します。

街そのものが捏造されたものであるという設定は、最近だと『劇場版魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語』のことが記憶に新しい。この中でも「バスで見滝原市から出ようとするとループして同じ場所に戻ってしまう(町の外に出られない)」といった描写がありました。

こういった前例があることや、OPの歌詞に「作り物のようなこの日々に」などと意味深な一節があることから、4話の感想記事でも「この世界はゲーム? プレイヤーのしての裕太たち?」といった邪推をしていました。結果的には「やっぱりね!」となるところなのですが……実は5話で校外学習に行くシーンが描かれていたことで、私は「そうか……"街の外"は存在しているのか」とミスリードされていました。

しかし結局あの川は、アカネによっておそらく一時的に作られたものだったわけですね。

 

さて、この世界が本当に作り物であることが確実になった今、世界の本当の外側がどうなっているのかが気になるところです。アカネが殺してきた人が実際には死んでおらず、架空の世界で架空の人物が、創造主によって消されていただけだということになるのですが、それでもアカネが人を殺したという行為そのものは架空ではなく真実なんですよね。少なくとも彼女自身にとっては。

アカネはどうしたら救われるのでしょうか。救われてほしいよ~~~~~~~!!!

 

まとめ

ラストで裕太たちがジャンクショップに向かうと、そこに内海や六花、新世紀中学生たちがいる。彼らがただそこにいるということの安心感が、じわりと胸を包みます。そしてほんの少しだけ破顔する裕太。彼にとってはもうジャンクショップが「帰る場所」になっているんだなぁと、ちょっとだけ胸が熱くなる締めでした。

 

世界の秘密が明かされたことで物語のギアが変わり、今回で第一部・完といったところでしょうか。

いよいよアレクシスが動き出すぞ……!

 

みんな、使命を思い出すんだ。 

アクセース・フラッシュ!

 

 

 

 

*1:新世紀中学生のヴィットさんが、ジャンクショップの留守を頼まれるシーン。ちなみにここに出てくる"お客様"は、『電光超人グリッドマン』で主人公の直人役を演じていた小尾昌也さんが声を当てている。また4話の感想記事では「普通の町の人にとっては、新世紀中学生たちの姿は視認することができない」と書きましたが、おそらくこれは誤り。気配を消したりすることが自在にできる、といったほうが正しそう

*2:ホットドッグ。これは『電光超人グリッドマン』5話「男の意地の必殺剣!」のオマージュっぽいです。神回なのでみんな観よう。

*3:4話の感想記事において、アレクシス側のキャラの名前が「ア」から始まるもので統一されていると書きましたが、アノシラスちゃんの登場によって反例ができました。アノシラスちゃんはグリッドマン寄りの中立、といった程度の立ち位置に見えます。そのためジャンクショップ「絢」の店主である六花ママも必ずしも不穏な存在ではないことが言えそう。

*4:ただアニメ版6話視聴後に思い立って『電光超人グリッドマン』を見始めたのですが、原作ありきとして見るならアノシラスちゃんも厳密には「新キャラ」ではないわけで、そこのモヤモヤはちょっとだけなくなりました。みんな『電光超人グリッドマン』を観よう。