○はじめに
『地獄變』の物語は一見して(『戯作三昧』とはまた違う)芸術至上主義を描ききったもののように捉えることができる。実際そのように評価されることの多い作品であるが、ただそれだけのものとして読み直してみると、この『地獄變』の「語り手」の存在が違和感を持って浮き上がるのもまた事実である。
ここでごく簡単にまとめた粗筋を確認すると、以下のようになる。
良秀という腕の立つ絵師がいたが、その性格の高慢さや絵にかける執念もまた格別で、あるとき良秀の娘について堀川の大殿の反感を買ってしまう。見たものしか描けぬという良秀に、大殿は『地獄変』の屏風絵を描くよう命じ、良秀は地獄変のために幾多もの非人道的な行いを繰り返しながら着実に絵の完成は近づく。だが最後に良秀は「燃え上がる牛車の中で焼け死ぬ女の姿が描けぬ、実際にその光景を見せてくれ」と大殿に頼み込む。後日、準備が整い良秀は牛車の中に閉じ込められた自らの娘を見つけるが、そのまま燃え行くさまを陶酔のさなか見守る。かくして『地獄変』の屏風絵は完成に至り、その絵を描き上げた翌日、良秀は部屋で縊死する。
このように、物語内での出来事の記述だけで「全てを芸術に捧げようとした良秀」は描けたはずであり、そこにおいて「堀川の大殿の従臣」の視点はノイズとなって我々の目に映ることになる。語り手は大殿や良秀の心中を想像し、推量したうえで出来事を活写してゆく。
例えば語り手は大殿の器量の大きさや高潔さを湛えながら、その大殿の行為の意図を想像して語るのであるが、実際のところ大殿がどう考えていたかまでは分からない。読者の前には、依然として良秀の娘と大殿との密かな関係についての疑念などが残ることになる。大殿が良秀に『地獄變』の屏風絵を描くよう依頼した意図などについても同じ事だが、解釈を一つに絞ることはできない。少なくとも、『地獄變』を構成する要素には芸術至上主義以外の何かが必要だったということが導ける。
では、どうして芥川は語り手を神の視点ではなく、あえて「私」という〈信頼できない語り手〉に設定したのであろうか。解釈に揺れを残すようなこの手法の意図について考察することで、作品の構造を再確認しつつ、一七節から二十節にかけての結末部分についての解釈を検討する。
○語りの二重性、芥川の見解
この語りの構造について、芥川自身が言及している書簡がある。
「あの小説の中の説明」になると私にも云ひ分がありますと云ふのはあのナレエシヨンでは二つの説明が互にからみ合つてゐてそれが表と裏になつてゐるのですその一つは日向の説明でそれはあなたが例に挙げた中の多くですもう一つは陰の説明でそれは大殿と良秀の娘の関係を恋愛ではないと否定して行く(その実それを肯定してゆく)説明ですこの二つの説明はあのナレエシヨンをくみ上げる上に於いてお互にアクテユエエトし合う性質のものだからどつちも差し抜きがつきませんそれで諄々しいがああ云ふ事になつたのです
(小島政二郎宛書簡大正七年六月十入日付、傍線は引用者)
この芥川の言葉の通り、「私」は大殿の行いについて肯定をしつつ、そのうちに否定を含むような発言を繰り返す。また良秀に対してはその逆であり、その行いの非道さを避難しつつも、芸術家として肯定を含むような語り口なのである。こうした語りの構造は三人称によってはなし得なかっただろう。ここに「私」という語り手の存在意義がくっきりと浮かび上がってくる。
○語り手の矛盾
また、「私」という語り手が「堀川の大殿の従臣」でなければならなかった理由についても考察の余地がある。
「中でもこの私なぞは、大殿様にも二十年来御奉公申して居りました」(一)
とあるように、語り手としての「私」は大殿の下に縛られており、本来は自由がないはずである。しかし実際にはこの語り手は自在に様々な出来事を語っていく。
例えば、この語り手は七節から十一節にかけての屏風絵制作の情景を直接見ていないにも関わらず、あたかもその場にいるかのような生々しい口調で出来事を描写するのである。とりわけ九節最後の一文、「さう云へば、耳のやうに両方へつき出た羽毛と云ひ、琥珀のやうな色をした、大きな圓い眼と云ひ、見た所も何となく猫に似て居りました。」について、桑原(一九九五)が指摘するように、これは矛盾さえもはらむ語りになっている。
「さう」は、「何かを思い出したり、相手の言葉に応答したりする時に感動詞のように用いる」副詞である。するとここは、弟子が語ったことから「私」がその時の木菟の様子を思い出したということになる。しかも、「さう云へば(略)似ておりました。」という文体だから、語り手は実際その場にいて見たことを思い出していることになる。百歩譲って、弟子から聞いた話に主観を交えて語り手が語ったのだと考えても、それなら文は、「さう云へば(略)似て居ったそうでございます。」の伝聞体でないとおかしい。ゆえに、「さう云へば(略)似て居りました。」との文体から、本来いない語り手がその場にいる矛盾を指摘することができよう。
この「矛盾」は、語り手に嘘や誇張があるということを端的に示す部分である。作中の事実とはまた異なる見解に即すことで、この小説の語り手は「堀川の大殿の従臣」という束縛からなんとか逃れようともがく。そのひずみがこうした矛盾として立ち現れてくる。
○語りの二重性の機能
以上のことから、「芸術的人間」と「道徳的人間」との間で揺れ動く《葛藤》それ自体を、この作品全体を通じて芥川は描こうとしたのではないか。どちらか一方を称揚するような主張を作品の中に潜ませるのではなく、その二つの綱引きこそがこの作品の核であると捉えるなら、それは立場上語りがたいことをさりげなく語ることで大殿の横暴を暴露しつつ、良秀の芸術的な比類さを語ろうとした語り手の葛藤とも重なる。
○結末について
こうした葛藤の末、「私」は大殿についても遂にはその面の剥がれ落ちる瞬間を描く。
「御縁の上の大殿様だけは、まるで別人かと思はれる程、御顔の色も青ざめて、口元に泡を御ためになりながら、紫の指貫の膝を両手にしっかり御つかみになって、丁度喉の渇いた獣のやうに喘ぎつゞけていらつしやいました。」(一九)
これは冒頭一節で滔滔と語られる大殿の威光の表現とは対称的な表現である。「火車」の場面を通じて大殿に対する描写が反転すると同時に、良秀の芸術性もまたここにほぼ無批判に再評価される。
「それ以来あの男を悪く云ふものは、少くとも御邸の中だけでは、殆ど一人もいなくなりました。誰でもあの屏風を見るものは、如何に日頃良秀を憎く思っているにせよ、不思議に厳かな心もちに打たれて、炎熱地獄の大苦難を如實に感じるからでもございませうか。」(二十)
最後の二十節で、屏風絵の出来映えに大殿が漏らした「出かし居った」という発言を最後に、語り手はもはやその後の大殿については全く触れず、それどころか「苔蒸しているに違ひございません」と死んだ良秀の墓に思いを馳せて、この『地獄變』という作品は結ばれる。
「芸術性と人間性との間での葛藤と、その末の芸術性の再評価」という構造は、ただ芸術至上主義を称揚するような単純なものではないが、そこにおいてこそ『地獄變』の屏風絵という芸術はなお輝くのではないだろうか。
○参考文献
芥川龍之介(1919)『傀儡師』新潮社
芥川龍之介(1995~1997)『芥川龍之介全集』岩波書店
桑原佳代(1995)「芥川龍之介「地獄変」における語り手の視点の問題」(『樟蔭国文学』32, pp.53-68)

